2011年

2011年10月24日(月)

東北大震災への民間支援組織である「被災地支援池田町民ネットワーク(矢口稔会長)」に同行し、この21から24日まで支援物資を届けに宮城県女川町に行きました。
 あいにく雨でしたが、池田町民の皆さんから預かったトラック3台満載の支援物資を無事女川町民に届けて参りました。
 朝6時から夕方6時頃まで動き続きのハードな支援活動でし が、女川町民の感謝の言葉にホットしました。
写真右:22日女川町新田地区仮設住宅前での青空市(雨のなか物資を求め並ぶ女川町民に説明する矢口稔ネットワーク会長、写真左:破壊し尽くされた女川港)

2011年10月17日(月)

15日(土)は北アルプス展望ウオーク実行委員会(事務局:観光協会)の広津紅葉散策にガイドマスター会の一員として参加しました。あいにくの雨天気でしたが、町内外から20名程度の参加がありました。霧に包まれた幻想的な風景を堪能できました。お昼には池田ライオンズクラブの皆さんによるトン汁を美味しくいただきました。このようなイベントに協力していただけることは本当にありがたいことです。帰りに大峰の七色大楓を見てきました。県内外から多くの観光客が来ており、池田の名物として定着してきたことは喜ばしい限りです。(写真:本日の大楓)
15日(土)は北アルプス展望ウオーク実行委員会(事務局:観光協会)の広津紅葉散策にガイドマスター会の一員として参加しました。あいにくの雨天気でしたが、町内外から20名程度の参加がありました。霧に包まれた幻想的な風景を堪能できました。お昼には池田ライオンズクラブの皆さんによるトン汁を美味しくいただきました。このようなイベントに協力していただけることは本当にありがたいことです。帰りに大峰の七色大楓を見てきました。県内外から多くの観光客が来ており、池田の名物として定着してきたことは喜ばしい限りです。(写真:本日の大楓)

2011年10月13日(木 )

池田町戦没者追悼式が八幡神社内の慰霊塔、公民館で行われ招待され、参加しました。先の戦争で池田町では403名の戦没者があったそうです。国民とアジアの諸国民に塗炭の苦しみを与えた戦争を二度と起こしてはならないと誓いました。 午後は公民館の稔塾での町中散策、ガイドマスターの勉強のため参加させていただきました。Aさんの分かりやすい話で昔の池田を知ることができ、大変参考になりました。
(右写真:池田学問所の杉山巣雲先生の墓、左写真:浄念寺の如意輪観音像)

2011年10月6日(木 )

朝夕めっきり寒くなり紅葉の季節となりました。今月は10月21日~24日まで被災地支援池田町民ネットワークに同行して宮城県女川町に支援物資を届け、11月13日投票の女川町議選挙のお手伝いに行きます。このネットワークの人達は町民の自由参加によるボランティア組織で春にも女川に物資を届けています。このような組織は近隣には珍しく、ガイドマスター会とともに池田町民の誇りです。ネットワークの方々の元気をもらいながら頑張りたいと思います。 
(写真:我が家の秋明 菊)

2011年9月25日(日)

9月23日、24日は池田八幡神社の例大祭でした。今年は町内の祭り担当(年番)の副を仰せつかわり、祭りの仕事の始めから最後まで会議に参加してきました。多くの人が力を合わせることにより、祭りが進められていくことがしりました。
 池田八幡神社の例大祭では8台の山車が町中を曳航します。なかには江戸時代後期の山車もあり、県内でも有数の規模の祭りで、子どもがお囃子をするのも珍しいそうです。しかし、少子化の影響で、町内でお囃子をする子どもがいなくなる町内もあるとのこと。祭りをいかに継続するか真剣に考えねばならない時期にきています。来年は本年番長になりますので、この点も含めて検討していければと思います。写真:稚児を抱いて船の神社廻りをする同義会の青年達

2011年9月17日(土)

16日(金)に9月町議会定例会での2回目の一般質問を行いました。応答の詳細は現在作成中ですので、とりあえず質問内容をご覧いただければ幸いです。今回の議会での大きな成果は住宅リフォーム助成制度をようやく当町でも来年度から実施することになったことです。取り組みはじめてから約1年での成果ですが、大北建設労連、町商工会などの町民の取り組みも大きな力であったと思います。私の一般質問は項目が多すぎたこと、準備不足など課題ばかりでしたが、今後への種まきはある程度できたのかなと思います。一歩一歩頑張ります。

2011年9月11日(日)

今日は3ラウンドの日となりました。午前9~10時は年番の9月23・24日八幡神社祭り交通規制の看板張り出し準備、10~15時は栃木県読売旅行会バス1台42名の大町市仁科神明宮から池田東山のアルプス展望の道(終点:池田町ハーブセンター)10Kmのウオーキングガイド、15~16時は原発問題を考える学習会参加(講師:チェルノブイリ救援中部事務局理事 小牧 崇氏、演題:チェルノブイリから学ぶ原発の危険性)でした。 天気は良く日差しが強いウオーキングとなりました。コースに日陰がなく参加者には大変だったようです。この時期のコースは山沿いの林間コースとするなどの配慮が必要と感じました。
 原発問題を考える学習会では汚染土壌で栽培された食物をたべざるを得ない内部被爆の問題が強調され、原発をなくす運動をとりくんでいきましょうとの行動提起がされました。今日の学集会で学んだことを16日の9月町議会の一般質問でも活かそうと思います。
 (写真:ウオーキング沿いのソバ畑)

2011年9月10日(土)

晴天のなか池田小学校の運動会に招待され参加してきました。小さい頃過ごした運動場での運動会、昔を思い出しながら見させていただきました。
  元気な子らの姿を見るにつけ、この子らのためにも安心できる日本・池田町をつくらねばと思いを新たにしました。

2011年9月4日(日)

荒天のなか 池田町交通安全暴力追放町民大会が高瀬中学校体育館で開かれ参加しました。
 池田町は交通事故死亡事故0が1522日続いており、県内2番の記録だそうです。また、小中学校の児童・生徒の安全を図るため毎日青パトを実施しています。関係者の皆さんのご努力の賜物であり、感謝しております。
 安全・安心の町づくりめざし、町民・行政の皆さんと力を合わせ頑張ります。
(写真:県警の警察音楽隊とカラーガード隊の演技)

2011年9月3日(土)

このところパソコンの調子が悪く、Mさんをはじめみなさまの温かいご尽力によりなんとか回復しました。ありがとうございました。
 今月は9月議会、お祭り年番と最高に忙しい月になります。頑張ればなんとかなるの気持ちで取り組みます。。それにしてもゆっくりな台風12号、被害の少ないことを祈るのみです。
写真:八幡神社例大祭奉納相撲力士による子供出世お祓い(2010年 9月24日)

2011年8月27日(金)

池田町は童謡「てるてる坊主」の作詞者、浅原六郎の故郷です。このことを記念して第5回てるてる坊主アート展がクラフトパークで開かれました。3歳から97歳までの1都2府9県の619作品のてるてる坊主が展示され多くの人でにぎわいました。池田町をこのように全国発信することは素晴らしいことです。関係者の皆さんに御礼申しあげます。
また、堀之内の皆さんにより案山子と芙蓉祭りも開催され、玄人はだの案山子が有明山を背に芙蓉の花と稲穂に囲まれ、「頑張ろう!日本」の標語も案山子と一緒に展示され、勇気づけられました。

2011年8月18日(木)

公民館主催の防災講演会があり、信州大学名誉教授の小坂共栄先生の「糸ー静構造線とその周辺の活断層・地震を知る」の話を多くの町民のみなさんと聞きました。その概要を紹介します。
○池田を含めた松本盆地に活断層が多いのはフォッサマグナの誕生以来活動してきた「糸ー静構造線」の通過する場所であり、マグマの活動もともなっており、構造線近くにたくさんの断層があるからである。
○GPSでみると大阪~新潟にかけては、ひずみが集中しており、地震が起きやすい地域と言える。池田・大町もこの中に入る。
○地震は忘れずにやってくると考え、あろゆる想定を元に対策、準備しておくこと。
防災対策を考える上で大変参考になる話でした。

2011年8月16日(火)

池田町経済の活性化に住宅リフォーム助成制度、小規模工事希望者登録制度、分離・分割発注の実施を!長引く不況のなかで地域経済を活性化する仕組みづくりが求められています。その仕組みとして注目されている制度が住宅リフォーム助成制度、小規模工事希望者登録制度、分離・分割発注です。住宅リフォーム助成制度は町の業者さんを利用してリフォームする場合、町から助成金が施工主に支給される制度です。経済済不況のなか町民や業者に喜ばれ、地域経済の活性化に効果のある良い制度なので、最近実施する自治体が急増しています。近隣の小谷村、白馬村、生坂村で実施され、大町市、安曇野市、松本市でも今年度中に実施が予定されています。
 小規模工事希望者登録制度は入札参加資格のない中小業者を登録し、自治体が発注する小規模な工事・修繕などに受注機会を拡大する制度で長野県でも中野市、小布施町などで実施されています。上限額を高め(130万円)に設定し、登録手続きが簡単な制度として、中小業者に大変喜ばれている良い制度です。
 池田町では小規模多機能型居宅介護施設や保育園の建設が行われます。大型工事は地域外の大手により受注してしまい、地域業者でもできる工事に仕事がまわってこないの現実のようです。この対策として注目されるのが分離・分割発注です。分離・分割発注は、自治体が物件等の発注に当たっては、価格面、数量面、工程面等からみて分離・分割して発注することが経済合理性・公正性等に反しないかどうかを十分検討したうえで、可能な限り分離・分割して発注を行うよう努めるものであり、公共工事においては、公共事業の効率的執行を通じたコスト縮減を図る観点から適切な発注ロットの設定が要請されており、自治体は、かかる要請を前提として分離・分割して発注を行うよう努める仕組みで、国も自治体に努力して実施するよう指導しています。これらの3の仕組みが池田町でも早期に実施できるよう頑張ります。

2011年8月10日(水)

8月3日の午後、議会改革等推進特別委員会で大町市の議会基本条例について勉強に行ってきました。その概要はファイルのとおりですが、月1~2回の委員会を開き、1年4ヶ月間程度で条例化までもっていった努力には感服しました。市民との意見報告会の実施、そこで出された意見を政策調整委員会の検討・対応、議員間の自由討議、政策形成過程の書式化など大変参考になりました。
 今後は委員会として、議会基本条例の元祖と言われている北海道栗山町の条例を勉強することになりました。

2011年8月1日(火)

災害に強い町づくりの基礎を学ぶ地方議員研修会が東京であり、建設政策研究所の高木直良さんの話を聞いてきました。大変興味深い話でしたので、印象に残った点を紹介します。
・地域防災計画の見直しは住民参加で練り上げることが重要。
・液状化対策としてマイクロバルブ工法(土中に気胞を入れ込み、空気が砂粒子と水の動きにクッションの役割を果たす)が開発されつつある。
・今後、社会資本(道路、橋、水道管、ガス管など)の交換時期となる。お金がかかるが、計画的な改修が必要。
・地域の雇用と建設業者を守る公共事業政策が必要。例:積算単価に労賃を保障する(公契約条例)。発注を細かく分けて地域の業者に仕事を廻す(小規模工事登録制度の点検)。入札予定の業者ランクにバランスのとれた発注方式とする。
・地域の資源を活かし地域循環型経済への転換に自治体が積極的に役割りを果たすこと。 例:岩手県住田町の森林・林業日本一の町づくり
 年をとったせいか、東京の電車移動が今回は大変疲れました。都会は老人にとって必ずしも住みよいとは言えないと実感しました。

2011年7月25日(月)

町村議会議員研修会が松本文化会館で開かれ、防災・危機管理アドバイザーの山村武彦氏の講演を聞きました。氏は世界各地の多くの地震を調査・分析し、震災対策をどうすべきか研究してきた人です。なるほどと目からウロコが落ちる思いをしましたのでその概要を紹介します。
・防災対策には自助・公助のほか近助(近所の人たちが助けあうこと、安否確認チーム)が重要。 ・地震が来たら初期微動の間に訓練と思って目の前に火があれば消し、安全な場所に移動すること。この間数秒が生死を分ける。
よく机の下に入れと言うがこれは誤り。震度6クラスの地震がきて、机の下にいたら逃げられなくなり、圧死や火災死につながる。 ガラスや転倒落下物の少ない広い場所に移動し、玄関ドアーなどの出入り口を開け、避難路を確保すべきべき。外部の安全性が確認できたら脱出避難すべき。
・宮古市田老町の教訓(防災の町づくり:どこからでも10分で高台に避難できる、防災訓練、心の堤防を高くする)  防災マニュアルの見直しが必要と思いました。また、氏の話を町民にも是非聞いていただきたいと思いました。

2011年7月24日(日)

23日~24日、奈良市で開かれた第53回自治体学校に行ってきました。今回のテーマは東日本大震災・福島原発事故を受けて、「ホンモノの地方自治を拓こう」でした。震災復興は「資本の論理」との闘いであり、ホンモノの地方自治とは憲法13条(すべての国民は個人として尊重され、生命、自由及び幸福を追及する権利は最大に尊重すること)を根本にした人間の尊厳を実現する日本をつくること。そのためには社会科学の基礎を大いに学ぶこと、データー・実態を把握、分析し、政策提案していくことが必要。大阪社保協など全国で多くの人が頑張っていることを知り、勇気をいただいた2日間でした。
(写真:東大寺の大仏さま、その大きさに改めてびっくり)

2011年7月22日(金)

松本市で地震の講演会(田代明美ほか)があり、聞きに行ってきました。新たな知見もあり、今後の地震対策の参考になりましたのでその要点を紹介します。
・3月11日大震災後の国土地理院のGPSによる地殻変動をみると、日本の中央構造線以東が水平方向に動いている。従って、中央構造線のある長野県は地震発生に要警戒と言える。
・道路に面した家屋で耐震がなされていない家屋は、地震発生により道路閉塞をおこし、人や車の通行を妨げ、迷惑をかけるので耐震工事をすること。
・2階建ての家では、2階で寝る方が安全。また、2階で寝ていることを近所に知らせておくこと。
・阪神淡路大震災は直下型の地震(震度7)の被災者の報告では、震度7では物が1m近く飛び、倒壊した。死者の8割は物の下敷きなどによる圧死であった。タンスなど大型物の倒れる危険性のあるところには寝ないこと。
・避難する時は必ずブレーカーを落とすこと。理由:通電時に火災発生の恐れあり。
・地震発生時にライター使用はガス爆発の恐れがあるのでしないこと。
・地震発生の非常食はお菓子とペットボトルの準備が合理的。
・地震発生の予知は公的機関からは発表されないから、自ら情報をインターネットで調べること。その場合、次のホームページが役立つ。防災科学技術研究所,、地震ハザードステーション、NPO法人大気イオン地震予測研究会e-pisco
・参考文献:田代明美著「震度7を生き抜く」、時空出版、我が家も耐震補強を本格的に考えねばと思いました。

2011年7月18日(月)

原発問題と6月議会の報告をテーマに久しぶりに街頭演説を行いました。6か所2時間ほどで、喉は疲れましたが、冷たい飲み物を差し入れていただける方もあり、元気をいただきました。今後も続けていきたいと思います。

2011年7月17日(日)

連日暑い日が続いています。我が家の庭では梅雨の名残の花「ガクアジサイ(左写真)」と真夏の花「ノウセンカズラ(右写真)」が競いあって咲いています。 池田町は「花とハーブの里」にしようと取り組んできました。町を廻ってみると家庭にハーブがかなり植えてあると思います。ただ、町の総合計画に、池田町を「花とハーブの里」にしようと言う言葉がみつからないのは、美しい村連合に加盟した町として、奇異な感じをいだきます。
 「花とハーブの里」を「美しい町づくり」の柱として位置付けて、美しい町にしていきましょう。

2011年7月10日(日)

佐久間象山といえば信州松代出身の幕末の儒学者・兵学者で、徳川慶喜に招かれ京都で、公武合体論・開国論を説いた。しかし、尊王攘夷の志士により暗殺されてしまう(54歳)が、門弟には、吉田松陰、勝海舟、橋本佐内、坂本龍馬など今日の日本誕生に大きな影響を与えた人がおり、象山先生は信州人の誇りである。その象山44歳の時の書が池田町(写真)にある。この書は八幡神社のお祭りの際、幟旗に使用されている。年1回の虫干しのため、公民館に公開された。この書を書いた前の年にペリーが来航した年であり、生気に満ちた力強い書である。書の意味は「霊を千年祀れば、徳は万民に広がる」とのこと。池田町の宝と言える。

2011年7月9日(土)

8日は梅雨の晴れ間での町内の荒神(こうじん)さまのお祭りでした。 荒神さまは家庭では火の神様、地域では氏神様、また農業の神さまとのこと。
 毎年この日に町内の人が集まり、神主さんに御祓いを受け、子ども相撲をします。
 いつまでの続いて欲しい地域のお祭りです。来年は年番長でお祭りをやらなければなりません。ますます忙しくなりますが、頑張ります。(写真:この日しかみられない荒神さま)

2011年7月8日(金)

6日は第54回国民平和行進があり、池田町役場から安曇追分駅まで約8kmを歩きました。この行進は昭和53年に始まり、核兵器をなくして世界平和を実現しようと、日本各地から、原水禁世界大会が行われる広島に向かってリレー行進するものです。大北地域は大町市役所を出発し、松川村役場を経由して、池田町役場に午後2時30分頃到着しました。役場前で勝山町長の激励を受け、町長のペナント署名をいただき、3時に出発し、ハーブセンターで休憩して夕方5時に安曇追分駅に到着し、待っていた安曇野市行進団の代表の皆さんにペナントを引き継ぎました。今年は福島原発の問題を反映して、参加者が多く、安曇野市まで歩いた人は60数人、そのうち大町からの通し行進者は28人と過去最高だったそうです。7日は安曇野市から松本市へ引継ぎ、塩尻、辰野と信州を南下し、本体と合流してペナントは広島に届けられるそうです。核兵器をなくし、安心して暮らせる世の中にするために今後も歩きつづけようと思います。
(写真:池田町役場を出発する大北国民平和行進)

2011年7月4日(月)

町村議会初当選議員研修会が松本市で開かれ、池田町の新人6議員で参加しました。元全国都道府県議会議長会調査部長の野村 稔氏の講演を聞きました。氏は議長会39年勤務の大ベテランで、はっきり物を言う人で大変面白い講演でした。その概要を紹介します。
○ 議員が行政監視しているから住民が安心して暮らせることを忘れないで、素人(住民の立場)から発言し続けて欲しい。議員定数の削減は議会(住民の声)の弱体化になるので誤り。
○ 調査部門が貧弱な日本の議会が条例を出すことは困難。これを解決するには行政職員に議会事務局職員の兼務命令を出させる方法もある。議会改革は議会事務局の改革から
○ 議員は主張してもいいが、ゆずることも大切。議員当選後2年間は全体のことを中心に活動し、後半の2年は地域のことを重点に活動すべき(このことを無視すると落選する)。
○ 提案は自分が長になった時に実現できる内容とすること。
○ 陳情・請願は実現にむかって努めること。(それがなければ議会に出す意味がない)
○ 予算編成前に議会の要望事項(政策)を長に出すこと。予算修正動議が困難な時は、組換え動議を。最低でも附帯決議を。
○ 一般質問で提案した事項は次の議会で点検を。 行政の回答:検討する=やらない→こんなことを許してはならない。
○ 議会提案で実現したことを数値(予算額)で出させ、議会の実績宣伝を。
 以上の内容を少しでも実現できるよう頑張ります。
(写真:我が家の山アジサイ)

2011年7月2日(土)

長野県革新懇の主催で吉井英勝衆議院議員を迎えての講演会が長野市であり、聞きに行きました。会場は観客で一杯になり、関心の強さが伺えました。非常に分りやすい話で改めて今回の原発事故問題点を理解することができました。その要旨を紹介します。
○ 今回の原発事故は次の二重の人災である。①吉井議員の国会での警告を無視して、対策をとらなかったこと。②原発の冷却機能がなくなった事故直後にすぐに海水を注入したり、建屋に窒素ガスを入れるなどの適正な措置をとることを政府が決断できず、最悪の結果に導いてしまったこと。
○ 事故の収束対策は東電丸投げであり、政府は責任放棄している。英知を結集すべき。
○ 海外メディアは「なぜ 東電は秘密主義なのか」を疑問に感じている。その答えは、東電など電力大企業・政府・マスコミ・政党など総がかりの原発推進による利益享受システムがあること(旧ソ連のように)
○ 災害対策には自治体の力が必要。原発を止めることを決断し、自然エネルギーを開発・普及することにより地域経済の再生を。
 吉井議員の話で注目したのは、原発を科学の力で制御する基礎研究は必要との見解でした。それが可能であり、原発廃棄物を処理できる技術ができれば、それに越したことは無いわけです。 
最初からできないと決めつけるのは科学的でないと。さすが、京都大学と思いました。
  夜は池田町花見(けみ)の第13回ホタル祭りに出かけました。ホタルの乱舞が見られ、関係者のご努力の素晴らしさに感激しました。また、多くの参加者(約2000名))があり、大成功のホタル祭りでした。
 花見(けみ)とは地下水が出ること、湿地帯などをを意味しています(大町市の唐花見など)。 写真:乱舞するホタル

2011年6月25日(土)

今日は3ラウンドの1日となりました。午前中、第30回「てるてる坊主童謡まつり」を聞きにいきました。この祭典は池田町出身の浅原六郎さんの「てるてる坊主」の歌にちなんで開かれているもので、今回で30回になると知りまずびっくり。公民館一杯の参加者で、会染小学校合唱団の歌声には感動しました(写真)。 
続いて、池田町バラ愛好会(代表:村端 浩さん)のバラ園オープニング・パーティに参加。ロッジ赤い屋根のそばにあるバラ園には約100本のバラが色とりどりの花を咲かせていました。池田町にバラを鑑賞して憩える場を作ろうと昨年の7月から荒地を開墾しバラ園を作りだしたのです。その熱意と実行力に敬意を表します。勝山町長(写真)・矢崎商工会長も祝辞を述べ、大成功のパーティでした。
 午後は、白馬村の「原発問題を考える会」主催の講演会に参加。森の映画社景山事務所のDVD「福島原発で何が起こっているのか(56分)」を見たのち、鬼無里村在住の大日方聡夫(元日本大教授、原子物理学専門)さんの講演を聞きました。地球上で、原子力のエネルギーの持つ莫大なエネルギーを制御できる術はなく、その利用は誤りであると言う大日方さん(写真)の話には納得。
  最後に心に残った平井憲夫(原発管理の被爆によりガンで1997年逝去)さんの話を紹介します。平井さんは原発の施工の専門家で、原発の施工・検査がいかにズサンなものかを体験に基づいて告発しています。その彼が北海道泊原発で講演に行った時、地元の中学生の女の子が涙ながらに訴えた話です。
・・・私は泊原発のすぐ近くの共和町に住んでいて、24時間被爆している。(原発の煙突から出る放射性物質の吸引による?)原発の周辺、英国のセラフィールドで白血病の子どもが生まれる高いことも知っている。私は子どもを産んでも大丈夫なんでしょうか。何で、今になってこんな集会をしているか分らない。なぜ、最初につくるとき、一生懸命反対してくれなかったのか。私が大人で子どもがいたら、命がけで体を張ってでも原発を止めている。・・・・平井さんは訴える。「原発がある限り、世界に本当の平和はこない。優しい地球を残そう子どもたちに」  池田町でも原発の講演会を開き、町民みんなで原発問題を考えて行きたいと思います。

2011年6月24日(金 )

先日、厚生連安曇総合病院の院長さんにお会いし、ご要望などをお聞きしました。安曇総合病院は池田町にあり、大北地域の中核病院として重要な役割を果たしています。病棟の一部が耐震化されておらず、新病棟を建築することが当面の課題です。
 建築に向けて池田町への支援要請をお聞きし、努力することを約束しました。こちらからも、新病棟建設に併せ、町民が憩えて便利な病院(食堂、喫茶室、買い物ができる等)となるようお願いしました。また、産婦人科の再開、病院入り口の歩道改善、透析患者さんの帰りの足の確保などについてもお願いしました。
 院長さんからドイツ ベーテルでの障がい者などを活かした町づくりの話をお聞きしました。ベーテルでは町の40%、8000人にのぼる障がい者や患者さんが職業を持ち、安心して天寿まっとうする生涯全員協働の町として有名です。一人の牧師さんの障害者職業訓練から始まった福祉の町づくりは、ナチスの迫害にも屈せず、135年も続いているのです。院長さんは、ベーテルまで行き、その教訓を同病院のクリーニング、食器洗いを障がい者などの職業としてやってもらうことを提案、現在、立派に稼働しています。
 べーテルの福祉の町づくりは鹿児島市など、その教訓を生かした取り組みが始まっています。池田町をべーテルのような福祉の町にしたい。その中核に安曇病院がある。これが院長さんの志です。どこまで力になれるか分りませんが、共に力を尽くしたいと思います。
(写真:孫娘の咲紀です。外を元気に歩けるようになりました。)

2011年6月19日(日)

 「きけわだつみのこえ」の巻頭言で有名な上原良司は池田町の鵜山に産まれました。上原良司の灯を守る会主催の「上原良司を偲ぶ会」が創造館で開かれ、「特攻の母と呼ばれた鳥濱トメの真実」と題して、知覧・ホタル館々長、鳥濱明久氏の講演を聞きました。そのなかで記憶に残った熊谷陸軍飛行学校の藤井中尉(良司など特攻隊員を教えた)の話を紹介します。
(上写真:池田町コールラベンダーのさわやかな歌声)
・・・藤井中尉は精神面の教官であり、飛行技術の教官ではありませんでした。中尉は「ことあらば、敵艦に自爆せよ、私も必ず行く」と教えていました。教え子が特攻隊員として散っていくのをみて、責任を果たすため自分も特攻隊員になることを決意し、2度も志願します。藤井中尉には妻と2人の幼子がいました。妻は反対しますが、中尉の決意に影響を与えるのを恐れて、親子で荒川に身をなげます。葬式をすませて、中尉は知覧にむかい、二人乗りの特攻機で沖縄にとびたちます。「われ、突撃せり」の通信を最後に帰らぬ人になります。・・・
(下写真:藤井中尉、妻子、講演する鳥濱明久氏) 
 戦争の悲惨さを痛感します。大阪府の「君が代」を歌わない教師罰則条例、改憲の動きなどみるにつけ、戦後守ってきた平和憲法は絶対に守らなくてと思います。

2011年6月15日(水)

今日は始めての一般質問で、原稿を何回も推敲して臨みました。今回は震災対策で何人も質問していたので、重なる部分は質問を省略しましたので、傍聴者にはわかりずらい内容となってしまったかもしれません。
 質問内容が多かったため、時間の関係上、やもう得ない面もありますが、今後はもう少し工夫をしたいと思います。ただ、もう少し確認しておくべき内容もあったかなと思います。この点も反省事項です。
 それでも、多くの前向きの回答をしていただき、良かったなと思います。
 具体的には、町地域防災計画の見直し、高瀬川のダムの安全性についての関連市町村での調査検討委員会(仮称)の立ち上げへの働きかけ、町の事業内容がわかる予算説明書の作成・配布、福祉内容のわかりやすい説明書の作成などです。先の町議選での政策の内容が取り入れられ、池田町も変わってきたのかなと思いました。うれしい限りです。 
 やりとりの詳細は後日アップしますが、今日のところは質問内容の概要をアップします。今後は震災・原発問題の講演会の開催を計画していきたいと思います。

2011年6月10日(金)

今日は6月町議会の初日でした。10時に開会し、町からの報告事項の説明があり、東日本大震災に関する決議の上程があり、私が提出者として説明し、全員一致で採決されました。町議会として今度の大震災への思いを決議としてアピールできたことは良かったと思います。
 午後は、22年度予算の補正など承認案件があり、質疑の後、全ての案件が全員の賛成で承認されました。続いて議案3件(震災に伴う被災者救援を目的とした税条例の改訂、23年度一般会計予算補正など) の説明があり、質疑の後、2件が委員会に付託されました。6日の全員協議会で報告案件、承認案件、議案の資料が渡されましたが、膨大な内容であり、充分に精査できずに態度表明せざるを得ませんでした。これから勉強しなければと痛感しました。来週は委員会審議(13日)、一般質問(15日)があります。初体験で不安一杯ですが、頑張ります。

2011年6月9日(木)

露に入り、蒸し暑い日々となりましたが、我が家のシャクヤクが綺麗に咲きました。
 服部議員から話があった5月下旬の大雨災害の滝沢地区のマレットゴルフ場横の沢の土砂崩落の現場をみてきました。沢の入り口ではたいしたことがないように思われますが、沢の奥では集中豪雨により大量の土砂が崩落・流下し、沢筋が埋まっていました。今回は事故発生には到りませでしたが、沢の下流には滝の台団地の民家があり、土石流による災害が心配です。一刻も早い対策が必要です。

2011年6月4日(土)

長野県高齢期運動連絡会の総会が長野市で開催され、栄村の元村議の広瀬 進さんの「栄村大震災から学ぶもの」と題しての講演があり聴きに行ってきました。栄村の3月12日の地震発生から、避難所での生活、現在までの取り組みについて体験に基づいて話され大変参考になりましたのでその要旨を記します。
・M6,震度6.7の地震で立っていられなかった。地震後1週間は何を食べて暮らしたか思いだせない。旦那さんがタンスの下敷きになり、奥さんが隙間を作り、助かった例 。地震がおさまり家か飛び出て、長靴をとりに戻り家から出たすぐ後に家が崩れた例。家屋診断で赤紙を貼られた家には必要な物があってもはいれない。
・第1避難所のドーム型の倉庫に行ったが、雪で戸が開かなかった。雪のことは検討していなかった失敗談。避難所は小学校であったが、集落ごとに別の教室に入るようにした。この措置は中越地震の山越村の「集落自治を守る」に基づくものであり、集落毎の情報伝達やコミニュケーションが容易にでき喜ばれた。その後、広瀬さんの集落は飯山市の33戸のあき住宅に避難した。仮設住宅の建設も集落の希望数を集落の場所に建てるべき。
・田の陥没はわずかでも、水を張れず修復を要するので、田・水路などの被害実態は今でも把握できない。仮設住宅の建設戸数、家・瓦礫の解体・処理費、田・水路の復旧費などはの要求は多くの人(団体)から村役場に上げるようにして、費用を国から出させ村人の負担を少なくしないと復興は無理。
・住民の声をたいせつにし、村まかせにしない高橋村政の住民自治の村づくりが、震災復興に生きている。全国の支援を力に必ず元の村になるように頑張る。

2011年6月2日(木)

6月1日は日本共産党池田ファンクラブ主催のマレットゴルフ大会でした。露の晴れ間に20数名の会員が集まり、新緑とアカシヤの花が満開のなか楽しいマレットで心地良い汗をかきました。終了後、多目的センターで一品持ち寄りの懇親会を行い、山本前町議の失敗談、高齢者の性生活などの話題が出て、腹をかかえて笑いました。私も選挙の御礼と新議会の動きなどを報告させていただきました。村端さんの救援物資の配布に女川に行ってきた話には感動しました。楽しく・有意義な集会でした。
 6月2日は正科と滝沢の増水現場を見てまわり、改善要求をまとめ建設水道課に話に行ってきました。住民参加のワーキング方式で建てた松川村の「鈴の音ホール」の取り組みを、鈴の音ホールの担当者から聴き、大変参考になりました。

2011年5月31日(火)

 
昨日に引き続き、大雨災害の中島の土砂崩れ現場(写真)、土砂災害危険区域内にある特別養護老人ホーム「ライフ、デイサービスセンター花しょうぶ」を見て来ました。ライフは東山山肌を開いて設置されているため、今回の大雨でも軽度の地滑りがあったとのこと、土砂止めの柵も木製で心もとない状況でした。今度の災害の被害額は1億円にのぼるそうです。県担の復旧分を除いた町被害額はわかりませんが、町民の声を届けてまいります。
 午後は池田町社会福祉協議会第1回評議員会が開催され、評議員として参加しました。平成22年度の事業と決算の報告があり、承認されました。申請しないと福祉サービスを受けられない現状で、町民にわかり易く社協の福祉サービスの内容を知らせる取り組みをお願いしました。

2011年5月30日(月)

5月29日の大雨災害の状況を服部議員とみてきました。中鵜のクラフトパーク駐車場の下から鵜山ブドウ園につながる新しく開かれた県道の土手が2ヶ所にわたり大きく地滑りしていました(写真上)。また、北アルプス展望美術館の北の山斜面も地滑りしていました(写真下)。増水による浸水地区は渋田見、吾妻町団地でみられました。社会福祉法人「白樺の家」の上部にある山路に水路がないため増水が「白樺の家」までくるので改善を要します。池田町の東山は土砂崩れしやすく、万全の対策が求められます。

2011年5月29日(日)

 
5月28日は長野県住民と自治研究所主催の第8回自治体学校が松本市で開かれました。「市町村議会の常識」と題して元全国市議会議長会調査広報部長の加藤幸雄先生の講演がありました。
 議会改革は「議会がだれのためにあるか」を考えれば簡単であること。そのキーポイントが議会報告会であること。9月議会で「住民の声を活かした予算の大まかな計画」を提出し、予算づくりに反映させる取り組みを。災害時の議会は過半数以下の参加でも成立する特例を。など、具体的な提案があり参考になりました。今後の議会活動に活かしていきます。
  5月29日(日)は激しい雨が降り、町の各所で地滑り、水路が溢れるなどの災害が発生し、町は対策本部を設け、対応しています。私も県道上生坂・信濃松川停車場線の土砂崩れ現場、半在家付近の県道の増水状況をみてきました。
 県道上生坂・信濃松川停車場線は池田町と生坂村を結ぶ幹線道路です。大雨のたびに土砂崩れで通行止めでは困ります。土砂崩れしてもすぐに土砂が道路に落ちないように道路拡幅と土砂が道路に
侵入しないように隔壁を設ける住民運動でおこす必要があると思いました。
注:一番下の写真:県道に落下した土砂
   真ん中の写真:土砂崩落をおこした部分

2011年5月27日(金)

5月25日(水)は大北地区植樹祭が当町のクラフトパーク上の山で行われ、参加しました。当日は天候に恵まれ、池田小学校4年生とともに雪形の美しい北アルプスを背に心地よい汗をかきました。
 5月26日(木)は共産党大北議員団で大町山岳博物館の小阪共栄先生、高瀬ダム・七倉ダムを管理する東京電力高瀬川総合制御所、大町ダムを管理する国土交通省大町ダム管理所を訪問し話を聴いてきました。小阪先生には県が2003年に実施した長野県地震基礎調査の詳しいデーターを委託したコンサルから出させる運動をすべきこと、共産党はもっと勉強しなければいけないと指摘されました。
 東京電力・大町ダム管理所では糸魚川静岡構造線の北部活断層の地震(M8)に対してダムは大丈夫との見解がしめされました。ダム安全性確認データーを出して欲しいとお願いしたところ、両者とも検討するとの回答でした。
 直下型のM9クラスの地震の安全性、ダム決壊にともなう下流被害予測については両者とも未検討であるとの回答でした。6月議会では、東京電力・大町ダム管理所からダム安全性に関するデーターを出させ、第三者専門家に委嘱して再チエックをすべきことを要求していきます。
 例えわずかの可能性でも住民の命と安全を守る観点からダム決壊の被害予測調査は必要です。その結果に基づいて避難方法・対策を検討すべきです。関連市町村で調査検討委員会を立ち上げるよう6月議会で要求していきます。
 5月27日(金)は甕議長さんの主催で6月議会に向けての新人議員の勉強会が開かれ、財政問題、町の課題、議会改革などを学習し、意見をのべあい、有意義な会議となりました。

2011年5月22日(日)

 
5月21日(土)は第4回北アルプス展望ウオークでした。池田町ガイドマスター会の一員として「ぶらり展望の道コース(14Km)をガイドしながら歩きました。晴天に恵まれ、気持ちの良い汗をかきました。
 堀之内のカカシ村の人たちがプロ並のカカシを展示していただき(写真)、おもてなしをしていただいたこと感謝申し上げます。
 5月22日(日)は自治体問題研究社主催の「議会はどう変わるか!」と題してのシンポジウムが大阪であり、聞きに行ってきました。
 多摩市議会では議会基本条例に次の2点をいれたとの報告があり、新しい取り組みとして注目しました。①決算審査に当たって議会として市の実施した事業評価を行い、市長に示し、次年度の予算で改善するシステムをいれたこと。②議会として「市民からの政策提案」を募集、委員会で審査し、政策化に役立てること。多摩市議会は2年半をかけて多摩市にあった基本条例を制定したそうです。
 パネラーの朝日新聞編集委員の神田さんからは議会改革は優れた実績も出ているのでもっと実現して欲しい。議員は財政に強くなって欲しいなどの率直な意見が述べられました。勉強になり、刺激を受けたシンポジウムでした。

2011年5月16日(月)

5月10~12日まで共産党長野市議団に同行して宮城県石巻市、福島県南相馬市へ救援物資のお届け行動に参加して来ました。石巻市、福島県南相馬市の津波被害の惨状にはただ茫然とするばかり。自然を甘くみたつけがここに表われたと思いました。(たかひこ通信No.1に報告記を載せました。)
 写真:石巻市日和山からみた石巻市の惨状。日和山に避難した人は津波と「助けて!」の号泣でトラウマ(精神的外傷)になっているそうです。
 大津波被害は天災とも言えますが、岩手県北部の普代村では、高さ15.5mの大堤防を昭和42年に作っておいたおかげでほとんど被害がなかったとのこと。(FOCUS4月20日号)当時の村長は昭和8年の三陸大津波の経験から15.5mの高さの堤防が必要と周りの反対を押し切って 完成させたとのこと。一方、防波堤がなくともほとんど被害がなかった所もあるそうです。今回の津波被害をよく分析してソフト・ハード両面から合理的な津波対策を地域から立ち上げねばと思います。
 福島原発の惨事はひどいの一言につきます。共産党の警告を無視し安全神話にしがみつき、対策を講じなかった東電、歴代政府の無責任さに腹が立ちます。全ての被災者への生活保障、東海地震の予想震源域にある静岡県浜岡原発の廃炉、原発の総点検、エネルギー政策の見直しを国民運動として展開する時です。

2011年5月7日(土)

 
昨日は初議会、議長、副議長、委員会などの議員分担を決めました。議長、副議長は立候補に抱負を話してもらい、投票できめました。当選者は町の活性化、議会改革に積極的に取り組むことが表明され心強く思いました。私は総務福祉委員会副委員長、議会報編集副委員長、池田町都市計画審議会委員、池田町国民健康保険運営協議会委員、池田町総合総合福祉センター運営委員会委員、(社)池田町社会福祉協議会評議員の6の役職を担当するこになりました。
 服部さんも振興文教委員会委員長など18の役職を担当します。条例・規則・要綱等に基づく委員会等が全部で39、その多さにびっくりしました。いよいよ活動がはじまります。元気を出して頑張ります。

2011年5月4日(水)

北アルプス展望美術館で開催されている万華鏡展を家族で見に行ってきました。さまざまな万華鏡に孫もびっくり、これほど沢山の万華鏡をみる機会はないと思います。6月26日まで開催されていますので御覧いただければ幸いです。
 孫の咲紀1歳の誕生会をやりました。産まれてから1度も医者にかかることなく育っていることに感謝し、この子らのためにも、平和で安心して暮らせる世の中にするために頑張ります。
写真:一升餅を背負った咲紀

2011年5月1日(土)

 
弟82回メーデー大北地区集会が、午後2時から大町市大町文化公園で開かれました。小雨で寒い天候でしたが安曇病院労組、高教組、年金組合、民主商工会、新婦人などから約130人が参加し、「東北大震災被災地救援、働くものの団結で生活と権利を守り、平和と民主主義、中立の日本をめざそう」のメーデー スローガンを確認しあいました。私も日本共産党大北議員団を代表して決意表明をしました。
 集会終了後、日本共産党大北議員団の初会議が開かれ、団長は平林英市大町市議、事務局長は私が行うことになりました。6月議会では糸静線にともなう震災対策について全体で取り組むことになりました。白馬村、小谷村からは観光不振にともなう収入減、廃屋の増加などが顕著なこと、暮らしの支援が求められていることが報告され勉強になりました。議員団で団結して政策や運動のやり方を研究して要求実現など成果を上げて行きたいと思います。

2011年4月28日(木)

今日、新人6議員が昼食会を行い、各々の思いを語り合いました。共通していたことは町民の声を吸い上げる議会、議会と町民の対話などの議会改革が必要との思いでした。5月6日の臨時議会の議長選挙では候補者に議会改革の具体策を陳べていただこう、新人議員の学習会や討論会などをやって大いに勉強しようなどの意見もだされ、有意義な昼食会でした。
 夜は池田町ガイマスター会の総会があり、本年度事業計画が決定されました。これまた有意義な会議でした。会議終了後、懇親会で大いに語りあいました。
写真:我が家のお花畑、チューリップが一斉に咲き始めました)

2011年4月27日(水)

選挙も終わり、ようやく平常ペースに戻りました。孫の皓太郎をつれて小学校の校庭と桜仙郷、陸郷「夢農場」の桜・花見物をしてきました。桜の清楚の美しさに癒されます。

2011年4月25日(月)

昨日は投票日、夜遅く開票結果が出て、14人中8位(446票)で当選できました。服部議員も当選し、共産党2議席を確保でき、ホットしました。
今日、午前中に当選証書をいただき、いよいよ町議スタートです。
 町民の声を拾い集め、より良い町づくりに頑張ります。ダルマに目入れを行い、当選をいわいました。
 庭のシャクヤクが咲き、春欄万の季節になりました。 町議当選を祝して咲いてくれているようです。

2011年4月18日(月)

いよいよ明日から本番です。初経験、いかに乗り切るか、ファイト・!ファイト!今度の選挙が新しい議会・池田町への第1歩となれるように頑張ります。

2011年4月15日(金)

だいぶ春めいて来ましたが、昼と朝夕の寒暖の差が激しいこのごろです。そのせいか、ここ数日風邪ぽく、声枯れ状態でしたが、なんとか回復してきました。体調の維持に留意しつつ、頑張らなくてなりません。今日、こんな要望をいただきましたので紹介します。
・・・・・78歳の夫と76歳の私の二人暮らしです。夫は脳梗塞で何もできません。子どももなく、国民年金で節約して暮らしてしています。今一番心配になことは、葬式が年々派手になりお金がかかるようになり心配です。なんとか改善していただければと思います。・・・・・
 この種の要望は今回で2回目です。葬儀の簡素化は一応町の生活改善で決まっていますが、ほとんど守られていないのが実態です。生活が年々厳しくなっている昨今、葬儀の在りようについても町民で真剣に論議し、改善していくことが必要だと思います。難しい課題ですが挑戦しなければと思います。また、安心して暮らせる年金制度の改善も求めていかなければなりません。
(写真:雪割り草、中野早苗さんのブログからお借りしました)

2011年4月12日(火)

新婦人大町支部の主催で「糸魚川ー静岡構造線の特徴と大町の震災について考える」講演会が大町市であり、参加してきました。会場は溢れんばかり参加者で、東日本大震災の後であり、関心の強さが伺えました。講師は信州大学で地質学を教えておられ、今は山岳博物館の専門員をされている小阪共栄先生です。講演の要点を整理してみると次のとおりです。
・ 大北地域は糸魚川・静岡構造線の上に位置しており、日本でも有数の活断層があり、大地震が起こる可能性が高い。個人・行政で地震発生にどう備えるか真剣に考え行動しなければならない。
・平成14年に長野県地震対策基礎調査報告書を出したが、自治体の震災対策に活かされていない。ハザードマップや防災計画の見直しを、専門家も入れて行うこと。
・高瀬ダム、七倉ダム、大町ダムの安全性については、データーを公表させ、第三者の専門家の検討が必要である。
 大変有意義な講演会でした。池田でも小阪共栄先生を呼んで講演会を行いたいと思いました。

2011年4月11日(月)

昨日は県議会議員の投票日でした。長野県では現職が2人落ち、新人が1人当選し、併せて1減の厳しい結果となりました。当選した新人の藤岡義英君は佐久にいたころの知り合いで、元気のいい青年です。共産党の専従でありながら、地域の消防団に入り、「若者しごと相談室」を開設する活動をしてきました。今度の震災では連日、朝から夕方まで街頭にたち義援金を集め、防災政策・住宅リフォーム制度などの政策を訴えたそうです。その行動力・真摯さが市民の共感を呼び起こし、2位当選になったと思います。私も藤岡さんに学び、頑張ります。

2011年4月10日(日)

投票日まで14日となった今日、私と服部さんの決起集会を党支部と党ファンクラブの共催で開いていただきました。50数名のご参加いただき大成功でした。私も決意表明で町の震災対策・町づくり・議会改革についての政策を述べましたが、概ね好評で、ほっとしました。

 昨日Webで調査した糸魚川ー静岡構造線の断層が動いた場合の池田町の被害予測についての県の調査結果や高瀬ダム・七倉ダム・大町ダムなどの震災影響についての東電・国のダム管理事務所に話を聴きに行ったことの話しなどが新しい情報として評価されたのだと思います。今後も調査・勉強をしなければと痛感しました。最後に必勝頑張ろうでしめ、勇気をいただいた集会でした。

2011年4月9日(水)

我が家の庭の水仙と梅の木の花が咲き、急に春めいてきました。奈良時代、花と言えば梅のことを指し、盛んに和歌に詠われたとのこと。白と黄色の清楚な色合いの美しさに、なるほどと感じます。
 本日の大糸タイムスに町議選に新人の立候補が報道され、選挙は確実な情勢となりました。同じ町内のすぐ近くの人も立候補を固めており、2名落ちの厳しい選挙になりそうです。 選挙で候補が政策をのべあい、町民の審判を受けることは、本来の選挙の意義にかなったことです。また、そのことにより議員も町民に責任を持つことになり議会活動が活発になりますので、選挙は歓迎すべきことです。
 町民の福祉と安全を守り、町の活性化のため、なんとしても頑張りぬきます。

2011年4月6日(水)

 
朝のNHK連続ドラマ「おひさま」が4月4日から始まりました。戦前、お母さんの病気療養のため都会から安曇野へ転居した家族の物語で、主人公の陽子は苦しいことがあっても太陽のように明るく前向き生きて欲しいとの思いから名付けられたそうで、お蕎麦屋さんになるそうです。東北大震災で被災された方々に勇気を与えるドラマになればと思います。
 5日のドラマでは池田の大峰高原の大カエデが放映されました。今日は松川村の風景が放映され、安曇野のさまざまの所が放映されるようで楽しみです。(写真:大カエデ
「おひさま」を池田町の観光振興にどう結びつけるか考えなければなりません。
 午後、町会議員選挙説明会が町役場であり、出席しました。前から予定されていた12派の出席がありましたが、最近立候補を噂されていた派の出席はなく、無投票の可能性がまた出てきました。しかし、告示日まで日数がありますので、気を抜かず頑張ります。

2011年4月2日(土)

福島原発の動きが心配です。放射能で汚染された水が海に流れ込んでいるのです。原発の炉を冷や冷やさなければならないのですが、水で冷やせば、その水が汚染水として流出する。外国の力も借り、早い収束を祈るのみです。
 4月16日に予定されている陸郷山桜トレッキングのコース点検があり、ガイドマスターの一員として参加しました。コース上にある枯れ木をノコギリで切り、コース整備をしました。1時間程度の作業でしたが、早春の山尾根で心地良い汗をかきました。それにしても、「ままこ落とし」の名前で象徴される東山の切り立った谷は絶景ですが、大地震が起きれば大規模の土砂崩れが発生することが確実。そうなったら「田の入り」集落は陸の孤島になる可能性大です。そのことを想定した対策の検討も必要であると絶景を見ながら思いました。(写真:真ん中にある土柱が哀しい言い伝えのある「ままこ落とし」、今は頂の松はなくなってしまいました。陸郷山桜トレッキングでは尾根沿いにこの絶景を楽しめます。)
 ここ数日で立候補の動きが急におこり、選挙確実の情勢になりました。正々堂々、政策をのべあう選挙にしたいものです。頑張るのみです。

2011年3月30日(水)

日中の日射しが強まり、なにもなかった庭に花が咲き始めました。その美しさに癒されます。
 昨日、国の11年度予算が無修正で成立したそうです。日本経団連の米倉弘昌会長(住友化学会長)がこんな時期だから5%の法人税減税は辞退しても良いと発言しており、たまには良いことを言うと注目していたのですが、無修正とは、管政権は何を考えているのでしょか。米軍思いやり予算、政党助成金もそのまま認められてしまうなんて。 結局、震災復興よりも大企業・アメリカの利益を優先したと言うことだ。国家公務員の給与5%削減を菅政権をやろうとしているようだが、なぜ42兆円もある大企業の内部留保の活用を言えないのか。弱いものいじめをする前に自らの給与を半減するくらいのことをなぜ言えないのでしょう。
危険なのは復興財源のため消費税増税論が出てきていることです。
大企業・アメリカの利益を優先した政治から国民優先の政治に変えるしかない。

2011年3月27日(日)

妻が今日還暦をむかえました。3月産まれが、私と妻と婿なので、娘たちが誕生会をしてくれました。ありがたいことです。
 本日の大糸タイムスに内鎌地区のNさんの町議選出馬のニュースが載っておりました。これでようやく立候補予定者が定数に達しました。同紙では、告示までの期間が21日と短いこと、さらなる立候補擁立の動きが鈍いことなどから無投票になる可能性は高いとしています。しかし、元職の立候補の動きもあり、微妙な情勢です。今までどおり、選挙を前提に頑張ります。
 また、同紙では議員定数の削減の論議が新しい議会で避けられないとしています。議会とは何か、その役割を果たすために何をするかを大いに論議し、議会改革に取り組むべきと考えます。

2011年3月25日(金)

北海道新聞は3月17日次のように報じました。・・・日本経団連の米倉弘昌会長(住友化学会長)は16日、都内で記者会見し、福島第1原発事故について、「千年に1度の津波に耐えていることは素晴らしい。原力行政はも っと胸を張るべきだ。原子力行政が曲がり角に来ているとは思わない」と発言したと。・・・これだけ周辺の住民に苦難をしい、国民を不安に落とし入れているのに、この発言とは・・・国民を犠牲にして何の反省もない経済界のトップの姿勢に改めて驚くばかりです。ヨーロッパの経済トップはもっと見識をもって国民を大切にし、エネルギー・環境などの将来政策を持ちあわせているそうです。こんな経済トップが幅を利かし、それに追随する政治家が政治の実権を握っている日本に将来はありません。一刻も早く、国民のことを真剣に考える政府つくる時です。そのために頑張らなければなりません。
(3月15日福島第一原発、3号機は水素爆発で上屋が吹っ飛び、4号機は建物に穴が空いている)

2011年3月24日(木)

喜ばしい知らせをHPでさがしました。私が学生時代実習で使用した女川フィールドセンターにいた職員・院生11名全員が無事であることが母校のHPに載っていました。同施設は海辺にあり、とても無理だと思っていましたが、本当に良かった。日頃の訓練が実ったとHPには書いてありました。しかし、施設・設備は壊滅状態だそうです。
 池田町の構造線の上にあり、大地震が起こっても不思議でないと言われています。行政と町民が協力して、科学的な調査に立って防災の町づくりを目指して頑張ります。

2011年3月21日(月)

福島原発の影響が大きくなってきました。町全体が埼玉県に移動した双葉町、畜産・農業への放射能被害など深刻な被害です。それにつけても、「原発は安全だ」と言い続けてきた東電・歴代政府の責任は重大です。
 日本共産党の吉井英勝衆院議員(京都大学工学部原子核工学科卒)は、2006年時点で津波により5メートルの引き波が発生した場合、日本の原発の約8割(43基)が海から取水できなくなり、冷却不能に陥る危険があることを解明していました。
 更に、吉井議員は、2010年5月には、国内外での事故例をひきながら、「巨大な地震で自家発電や外部電源が喪失し2次冷却系が機能しなくなって炉心溶融にいたったとき、どれだけの規模の被害が発生するのか」と対策を急ぐよう民主党政権に迫っていました。
 しかし、民主党政権は対応せず、原発の海外輸出を進めていました。今回の被害は歴代政権の無策が招いた人災の面が大きいと言えます。原発の総点検を行い、太陽熱などの自然エネルギーへの転換など、大きな見直しが求められています。
 昨日、65歳になりました。人生は短いのです。やれる時にやりきる。頑張るのみです。

2011年3月19日(土)

本日の信濃毎日新聞の折り込みに町民有志による「被災地支援池田町民ネットワーク」の呼びかけによる支援物資の募集のチラシが入り、早速、水、消毒用ティシュを届けました。10数人のボランティアも組織されており、対応の早さにまずびっくり。このような民間組織ができ行動を開始したことは喜ばしいかぎりです。私たち共産党も頑張らねばと意を新たにしました。
 今日も街中にあるスーパー前で震災募金活動を6人でやり、1時間ほどで29,719円の募金がありました。既に募金を済ませた人が多くなってきましたので街頭募金は中止することにしました。3日間で合計99,508円の募金が集まりました。厚く御礼申しあげます。組織を通じて被災地へ送らせていただきます。今後は支援物資など必要に応じ適切な支援に取り組んでゆきます。(写真:被災地支援池田町民ネットワークで活躍する支援ボランティアの皆さん)

2011年3月18日(金)

今日は街中にあるスーパー前で震災募金活動を6人でやりました。今日はお昼頃に時間設定したので日よりも温かく、1時間で22,136円の募金が集まりました。既に募金を済まされた方も協力していただきました。本当にありがたいことです。家に帰り、メールを開けてみると、学生時代の卓球同好会の仲間から食料がない、至急送って欲しいとの連絡。宅急便が届くか確認して対応します。 明日も同じスーパー前で取り組みます。  
 夜は大町市のサン・アルプス大町で共産党の[大震災救援の国会報告」が行なわれ、180人ほど集まり、参議院議員の「井上さとし」さんが国会状況を報告してくれました。私も5分程度で立候補の決意と政策をのべました。原稿を何回も練り直して臨みましたが、時間の制約上早口になってしまいました。笑わせるような柔らかい所も入れたらのアドバイスもいただきました。この次はその当たりも工夫してみたいと思います。  井上さんの話では、復興対策の財源をどうするかの話になり、自民党が今日、米軍への「思いやり予算」を通してくれと申し込んできた話にはびっくり。震災復興を真剣に考えねばならぬ時に、なんということを。被災者よりも米軍が大事とは。あきれるばかりです。「思いやり予算」の7000億円、大企業減税の2兆円を復興財源に廻せの井上さんの提言には、拍手がでました。
 また、福島原発はアメリカの技術をそのまま導入し、津波対策は全く考慮して設計されなていなかったと言う設計に当たった人の話にはこれまたビックリ。「原発は安全だ」とよくも国民をだまし続け、しかも海外まで輸出していたとは・・・あきれるばかり。原発の全てを一斉点検し、早期に太陽光などの自然エネルギーへの転換を図るとの井上さんの話に納得。  池田町も大災害に備え、地震対策の点検(避難施設の耐震性の確保、建物倒壊予測図の作成などに基づく避難路の確定等)と自前の食料とエネルギーの確保を考えて町づくりを進めなくてはと思いました。

2011年3月17日(木)

名取市在住の学生時代の友人が無事であることが、友人からのメールでようやく今日わかりました。津波にはおそわれなかったものの、家はめちゃくちゃで、昨日、友人の車で山形県の知人宅に避難したとのこと。まずは、ほっとしました。津波で学生時代過ごした女川の実習場も跡かたもなくなり、大きな被害を受けたと思われます。(写真:女川町の現況)
 被災者のために今自分たちでできることは何か。そんな思いから党池田支部で町の南部にある大型スーパーの前で6人で寒風のなか1時間募金活動を行いました。多くの皆さまにご協力いただき34,653円の募金が集まりました。ご協力ありがとうございました。明日も取り組みます。

2011年3月16日(水)

 
東日本大震災の被害は未曾有の状況であることが判明してきました。また、福島原子力発電所の事故の影響も危機的です。国会では15日の書記局長幹事長会議で、共産党は「全国民が総力を上げて救援、復興に力を注ぐべき時期、統一地方選挙全体の延期」を提案しましたが、自民・公明が反対し、民主は讃成せず、明日、地方選挙の4月実施が確定します。救援よりも党利・党略を優先するとは寂しいかぎりです。 党池田支部でもに街頭募金運動を起こそうと明日から準備にとりかかることにしました。
 15日は町議会の一般質問を聴きに行きました。出産祝金の増額、保育料の値下げ、20~40歳の健康診断・子宮頚ガンワクチン・総合防災訓練の実施などの前進がみられました。しかし、国民健康保険税の値上げ(平均15,811円)は町民に負担を求めるものになってしまいました。解決策は国の国保への負担割合を引き上げしかありません。このことを町は他の自治体と力を合せて、国・県に要望していただきたいと思います。
 山本久子町議は住宅リフォーム助成制度の早期の創設を求めたのに、町は12月議会同様検討するとの回答で前進はみられませんでした。同制度は地域経済の活性化に効果があると、多くの自治体が始めており、松本市でも次年度から実施します。生坂村は年度途中の2月から実施しています。町の活性化を求める声(町商工会からも要望されている)も聞き、良いことは一刻も早く、6月補正で住宅リフォーム制度を実施して欲しいものです。
(議員生活最後の一般質問をする山本久子議員、長い間ありがとうございました。)

2011年3月14日(月)

3月11日に発生した東日本大震災の状況が分るにつれ、その被害のすさまじさに驚くばかりです。仙台市の友人からメールがあり、無事とのことでほっとしましたが、名取市の友人からは返事がなく心配です。仙台の友人宅は家のなかがめちゃめちゃとなり、玄関で寝泊まりしたとのこと、ライフラインも復旧せず大変とのこと。
共産党池田支部と共産党池田ファンクラブの連名で今日、お昼に、町長に大震災への支援を町でも取り組むよう要請書を提出し、両町議らとともに参加しました。町としては募金を中心に取り組むとのこと。積極的に取り組むよう要請しました。

2011年3月12日(土)

昨日の午後2時46分に発生した東北大地震は宮城・岩手・福島の海岸沿いに大被害をもたらしました。自然災害の恐ろしさに驚くばかりです。学生時代の友人の家や研究室が名取市にあったこと、塩釜、石巻、女川、大船渡などにも行ったことがありどうなっているのか心配です。幸い、池田町は震度2程度ですみましたが、なんか援助できることはないかと思い、友人にメールを送りました。
(我が家の庭に咲いた福寿草です。)

2011年3月11日(金)

「日本共産党 うすい孝彦後援会事務所」の看板ができあがり、今日から家の前に設置しました。いよいよ本番です。気持ちを新たに誇りと責任感をもって頑張ります。
 最近、、自治会協議会が町議会議員定数の減を求める陳情書を議会に提出したこともあり、議員定数についての関心が高まっています。議員定数についての見解を載せましたのでご覧いただければ幸いです。
 結論を言えば、議員報酬を減らしても議員定数は減らすべきでないと言うことです。その理由を書きました。

2011年3月9日(水)

昨年の町政アンケートに基づく道路改善の要望書を山本・服部両町議とともに、今日、建設課長に提出し、交渉を行いました。要望個所は次の5か所です。
1.安曇総合病院入口の歩道整備(上写真:側溝に蓋がないため危険) 
・病院から県道上生坂 信濃松川停車場線への入口の歩道が整備されていないので危険との声あり
改善案:土屋薬局側の側溝に蓋をし、入口は傾斜歩道とし、病院入口は歩道整備をする。

2.高瀬大橋歩道(県道上生坂 信濃松川停車場線)から車道の落下防止(中写真)
・歩道の通行者、自転車が車道へ落ち、自動車に撥ねられる危険あり。
改善案:落下防止ブロックを設置する。
3.半在家 1074番地東、県道上生坂信濃松川停車場線の側溝設置(下写真;該当部県道に側溝がないため雨水が道下の民家に流れ込む)
改善案:該当県道のすぐそばまできている側溝を延長する。

4.主要地方道大町 明科線の池田工業高校前の歩道整備
・歩道が狭いので自転車通学の高校生が危険。
改善案:歩道工事の延長。
5.豊町池田工業高校グランド南・高瀬川堤防道路東農業用道路の舗装
・豊町自治会から要望が出ている個所の舗装(約120m)
 それぞれ事情があり、4.を除いては、今すぐの対応は困難とのこと。あきらめず、今後も取り組んで行きたいと思います。

2011年3月6日(日)

今日は咲紀の初節句の雛祭りを行いました。咲紀も健やかに育っており、最近は2歩くらい立って歩くようになりました。ありがたいことです。
 白酒と料理をいただき、楽しい一時を過ごしました。明日から元気を出して頑張ります。
 昨年の12月町議会で山本久子議員が「住宅リフォーム」助成制度の創設を求め、町も検討するとの返答でしたが、23年度池田町予算で「住宅リフォーム」助成制度の予算が盛り込まれていないことが明らかになりました。
 隣村の生坂村では村が自発的に取り組み、この2月から制度が始まりました。例え、100万円の予算でもいいのです。まず制度化して、一刻も早く町の景気を良くすることが大切です。町の建設業者を廻り、早期の制度創設を求める請願署名を始めました。皆さまのご協力をお願いたします。

2011年3月3日(木)

日射しが強まり春めいてきましたが、風はまだ冷たく、まさに、早春賦の世界です。早春賦は、東京音楽学校のの吉丸一昌先生が大正初期に穂高を訪れ、早春の安曇野の風景に感動し作詞されたと言われています。
 4月決戦までわずかです。寒さに負けず、毎日を大切に頑張りぬきます。
 昨日の信濃毎日新聞に池田町の自治会協議会名で議員定数を1~2減らすように求める陳情書を出す旨の記事が載っておりました。村端さんの資料からみても、議員1人当たりの人口数からみても、池田町の定数12は決して多いとは言えません。議員定数を減らすことは、町民の声がそれだけ届きにくいことになり地方自治の本旨からみても良くないと考えます。人数が少なくなれば委員会審議も充分にできなくなり、行政のチェックも甘くなり、そのつけは町民にはねかえってきます。今、求められるのは、議会が町民の声をよく聴き、要求を実現するにはどうしたらよいか論議をし、条例提案で町民要求実現するなどの議会改革だと思います。今、全国の多くの議会が議会改革に取り組んでいます。池田町も議会改革に取り組むべき時です。

2011年2月16日(水)

2月14日の夕方からの20cm程度の雪により池田もすっかり雪景色。我が家の狭い庭ですが、孫の皓太郎をソリにのせ引いてやりました。皓太郎、大喜び。もうすぐ3歳、反抗期に入ったのか、一緒に風呂に入ると、お風呂にある玩具を私に投げつけて喜んでいます。
 1週間くらい前から作成にとりかかった「うすいリーフ」がようやくできあがりました。身にあまる「おほめ」の言葉もいただき、期待に応えられるよう、いっそう勉強し、頑張ります。うすいリーフ(表、裏) 

2011年2月6日(日)

今日はTPP(環太平洋経済連携協定)のシンポジウムが福祉会館で開かれました。飴市で参加しにくい状況でしたが、松川村、大町市、安曇野市からの参加もあり、80名を超す参加者で大成功でした。 集会では、基調報告に続き、パネラー(有機米生産者、JA、町振興課、日本共産党)の報告があり、討論をしました。そこで強調された点をご紹介します。
・日本の農産物の関税率は高いと言われているが、これは事実に反する(日本:12%、韓国:62%)。
・どこの国も農業に補助金を出して農業を保護している(農業所得に対する国支援の割合:日本16%、アメリカ26%、仏90%英・スイス95%)
・TPPはアメリカのオバマ大統領が自国の雇用創出のため、日本に押しつけてきたものであること。アメリカでは日本の半額の価格で美味しいコシヒカリ、秋田コマチが生産されていること。
・菅総理の言う外国と太刀打ちできる農業はできるはずがないこと。
・TPPは農業ばかりでなく、医療保険制度、公共事業への外国会社の参加、安い外国労働者の流入など日本の経済システムを根本から変えてしまうこと。
 集会ではTPP反対の世論を大いに盛り上げていこうと呼びかけが行われました。大変勉強になり、意義ある集会でした。今後の諸活動でTPPについては訴えていかなければと思いました。す。)

2011年2月5日(土)

今日は中信健康友の会大北連絡会の講演・新年会でした。木崎湖畔のユープルに約100人ほど集まり、松本共立病院の富田医師の「大腸がん」の講演、マツサージの方法など有益な話を聞きました。
 懇親会で、池田はAさんの指導のもと「東京カンカン娘」を踊り、大喝さいを受けました。(写真)
 多くの人から励ましの言葉をいただき、元気をいただいた1日でした。

2011年2月3日(木)

 
2月3日付の大糸タイムスに記事が載りましたので紹介します。簡潔明瞭に要領よくまとまっており、さすが、プロだと感心しました。
 いよいよ頑張らねばと意を新たにしました。

2011年2月2日(水)

連日寒い日が続いていますが、元気に頑張っています。今日、大糸タイムスの取材があり、思いの丈を1時間ほど語りました。明日あたりに掲載されるそうですので、どんな記事になっているか、請うご期待です。(肩車されてご機嫌な咲紀です。)

2011年1月24日(月)

22日から松本市で開催された自治体問題研究所の自治体政策セミナーに参加して来ました。今日は伊那市の㈱産直市場グリーンファームの小林史麿氏会長の講演でした。実に感動的な講演であったので紹介します。
 グリーンファームでは、2000名を越える登録会員からの商品(農産物、キノコ、水菜など地域で産み出すあらゆる物)を販売し、年58万人の客(1日最高3500人)で、年10億円の売上を上げている。
 商売繁盛の秘密は、新鮮、安い、安心・安全の他に「楽しい(感動を与える)」ことにあると言う。その例としてこんな話をしてくれた。・・・ある大根生産者が奥さんの不幸により、出荷時期が遅くなり巨大な大根となったしまった。その大根、JAや市場では規格外と販売を断れたが、グリーンファームで奥さんの精根込めた形見の大根として1本100円で販売したところ、話題を呼び、2日間で1000本を売りつくし、 出荷マージンの20%を引き、8万円を稼ぎ出したとのこと。・・・規制概念にとらわれない人間的な商売の勝利と言えるであろう。
 氏の直売所の商いの観点として次の3つが必要としている。①消費者ニーズにどう応えるか、②農家・農村をどう守るか、③地域社会にどういう役割を果たすか。
 ②の点では、登録会員の精算は1週間(土・日)で行い生産意欲を奮いたたせ、③の点では、新規就農候補者に100坪の実験農地を貸し与え、できた生産物はグリーンファームで販売し生産意欲を引き出し、2名の新規就農者を作りだしたとのこと。氏は言う。「小規模農業の再興こそ日本の本来の営農スタイルであり、産直を通じ、小規模農家を日本の農業を守る主流にしていきたい。」と。

2011年1月23日(日)

今日の赤旗に、与謝野経済財政大臣が「年金の支給開始年齢を引き上げる可能性あり」と言及したとの報道にびっくり。定年延長もままならなず、リストラで辞めさせられる人が多い昨今。支給開始年齢を引き上げたら、生活に困る人がたくさん出るのは明白。
 大企業のリストラ、正社員の非正規への置き替えなどによる働く人の収入減が年金財政を悪化させているのです。雇用は正規が当たり前の日本に変えて行くことこそ、今、求められているのではないでしょうか。
(1月20日、雪のクラフトパーク、公園内の最上部にある創造館の横にある石柱の標高は東京スカイツリーと同じ634mだそうです。池田町観光情報ブログよりお借りしました。)

2011年1月20日(木)

1月15日から3日間降り続いた雪で池田もすっかり雪景色となりました。連日、寒い日が続いているので、陽の当らないところは凍りついて危険な状態ですが、少しずつ溶け始めています。連日の雪かきで筋肉疲労しましたが、元気に頑張っています。
 菅第二次内閣の閣僚に自民党の元閣僚の与謝野氏が経済財政大臣に就任には、びっくり。この人事は民主党の自民党化を象徴しています。財界の意向を受け、消費税増税・TPPの推進にまっしぐらの菅内閣の暴走をなんとしてもくい止めねば、そのためにも負けられないと思うこの頃です。(咲紀:始めての三輪車乗りです。)

2011年1月14日(金)

連日-8℃程度の寒い日が続いていますが、積雪がほとんどなく助かります。宣伝カーのセットを手配し、いよいよ本番モードです。
 今日、ある人から「薄井さんの良さはまじめさにある」と言われました。励ましを力に頑張らねばと思い新たにしました。
 今日の市民タイムスのトップ記事で町のサポートセンター運営協議会が町長の意向により解散となったことが報道されました。自分の意向に合わないことが理由のようですが、大学教授まで参加して検討したプロジェクトチームの活動、運営教協議会の活動、サポートセンター事務局長の人件費など今までの活動が生かされなかったことになり、納税者として、こんな無駄は許されないと思います。
 町民の力を引き出すのではなく、押さえつけるような町政運営を変えないかぎり町は良くならないと思います。詳しくは村端浩氏のHP(日々のこと、1月14日)を御覧いただければ幸いです。
(次女の生後9ヶ月孫娘の「咲紀」です。薄井保育園で元気に動きまわっています。)

2011年1月8日(土)

今日は2回目新春の街頭挨拶を服部町議と行いました。少しは慣れてきましたが、5回続けてやると喉が枯れてきました。本番までに何回もやって、喉を鍛えなければと思いました。。

2011年1月5日(水)

今日は共産党長野県委員会主催の旗びらきでした。全県から350人の同志が集まり、必勝を誓いあいました。諏訪や佐久の昔の仲間に励まされ、頑張らねばと意を新たにしました。 また、昨日は共産党ファンクラブニュース恒例の新春対談を村端さんのお宅でやりました。町の課題などを話し合いましたが、このような企画をしていただけることはありがたいことです。2月6日にTPP問題のシンポウムをファンクラブがJA・消費者団体などに呼び掛けて実行委員会形式で行うとのこと。ファンクラブが頑張っていただけることもありがたいことです。

2011年1月2日(日)

新年おめでとうございます。いよいよ勝負の年を迎えました。人生最大のチャレンジ、毎日・毎日を大切に頑張り抜きます。
 年末から長女が帰ってきて、次女家族も含めにぎやかな正月を迎えています。0~4歳までの4人の孫は本当に可愛いですね。この子達が大きくなった時に安心して暮らせる世にするために、今、頑張らねばと思いを新たにしました。
 今日は山本・服部両町議と私で町内で新春の街頭挨拶をしてきました。「口べた」の私は両町議のように うまくできませんでしたが、練習を重ね上手になるように頑張りたいと思っています。
(長女の2人の孫娘と次女の長男坊です。仲良く遊んでいます。)